高森ひろしとデッドベア


『絶対無敵ライジンオー』30周年の2021年は、YouTubeの「サンライズチャンネル」で本編が配信されたことで、Twitterでもそれに絡んだ『ライジンオー』の話題が多かった印象です。
管理人自身、多くのファンのツイートの数々を眺めているだけで、新たな発見があったりもしましたが、そんな中、うちのサイトからもリンクを貼らせて頂いている、ともちさんの感想ツイートを見て、今まで気付きもしなかった第11話の側面に気付けたため、この度、「作品研究」の形で発表させて頂きました。
なお、今回の「作品研究」記事作成にあたって、該当ツイートの掲載を許可して下さったともちさんには、心から感謝致します。



個人的に、第11話は、これまで「クッキーかわいいなぁ」とか、「デッドベア怖いなぁ」とか、そういう感想しか抱いていなかったというのが正直なところです。
ただ、この度の配信を見ていて、「デッドベアは何の迷惑を振りまく邪悪獣なのか?」という疑問が、頭の中に浮かんだのですね。
例えば、アブラーはガソリンを奪い続けましたし、ドクノイズは騒音を撒き散らすなど、それまでの邪悪獣は、迷惑の元の特性を活かして、町に被害をもたらしていました。
ところがデッドベアは、別にクマちゃんの要素を活かした迷惑行為をするというようなことはなく、クッキーの嫌うものを念力で破壊するという行動に出るわけです。
  • 「保健室も身体測定も大嫌い」という思いを受けて、保健室を徹底的に破壊。
  • 「牛乳嫌いなんだもん」という思いを知って、給食の牛乳を全て飲めなくする。
  • 「飛鳥くんなんか嫌い」というつぶやきを聞いて、飛鳥くんを狙う。
よくよく考えれば、これらは全て、「デッドベアがクッキーの意志を代行している」ということであるのですが、更に言い換えれば、「デッドベアはクッキーのために動いている」ということになるのですね。

そして、この話ではデッドベアの他にもう一人、クッキーのために動いている人物がいます。
それが、高森ひろし。
  • クッキーが落ち込んでいることに気付いて「どうしたの?」と話しかける。
  • クッキーが教室を飛び出していった際には家まで行って、結果的に邪悪獣から助ける。
  • ライジンオーがピンチに陥って動揺しているクッキーに対して、言葉を選びながら叱咤する。
こうしたひろしの行動は、クッキーのケアやフォローをする等、そのバックアップに徹している点で、一貫性があると思うのです。

ひろしは、クッキーを傷付けないように、言葉を選びながら話しかけたり、体を張って邪悪獣からクッキーを助けたりと、常にクッキーのことを第一に考えながら行動していました。
一方のデッドベアは、別にクッキーが頼みもしていないのに勝手に動いて、クッキーが望んでもいない結果をもたらしていきます。
更にデッドベアは、クッキーの気持ちを代行しながらも、その心を理解していないため、クッキーを平気で泣かせたりもします。
ひろしもデッドベアも、「クッキーのために行動している」という点は共通しているのですが、クッキーの気持ちまで考えて行動しているか否か、本当にクッキーのためを思って動いているか否かが、善と悪の相違点となっています。
以上のことから、邪悪獣デッドベアが司る迷惑とは、「間違った親切心の押し売り」なのかなと、僕としては思った次第です。

また、デッドベアになったクマちゃんは、恐らくはクッキーが幼稚園の頃から持っていた品物だったのではないかと、個人的には推測しています。
そう考えれば、ひろしとデッドベアの対比がより明確になりますし、デッドベアと化してしまったクマちゃんは思い出の品だった筈で、ライジンオーのピンチを救うためにその弱点を教えることは、クッキーにとっては苦渋の決断だった筈ですから。
もし仮に上記のような設定だったなら、第11話では「ピンチを切り抜けるために思い出を乗り越える心理描写」が薄いのですが、その部分を改めて強調して描いたのが、マリアの落書きをめぐる第37話だったような気もしますね。

第11話は、身体測定の話でもありましたが、思い出の詰まったクマちゃんとの別れは、クッキーの精神的な成長痛となった筈です。
この話のラストで、きららの言葉に笑顔で返すクッキーの姿は、彼女の確かな成長の証なのだと思います。
まぁ、クッキーがひろしの存在の大きさに気付くのは、まだまだ先のお話なのですが・・・。

なにはともあれ、クッキーを主役とし、ひろしとデッドベアを比較することで、ひろしとクッキーの関係を明確化した第11話の真の素晴らしさに気付けたことは、『ライジンオー』30周年という節目に、自分に訪れた幸運だったと断言できます。


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